「とかちゃん、とかちゃんっ」
「ん? どないしたんや、みつねぇ?」
かさねに借りた寓話集をぼんやり読んでいると、部屋を訪ねる声があった。
いつも余裕を崩さない彼女にしては珍しく、少し切迫した様子だ。
「あのね、いまウメさんがいらっしゃったのだけど……」
「あ、ほんま? 挨拶せな」
ウメさんとは、比較的近場に住む老婆で、みつなの茶飲み友達兼、宿の相談役みたいな人物だ。
穏やかで優しい、みんなのおばあちゃん的な存在のため、とうかやかさねもよく懐いている。
「挨拶の前にね、その……いま、かさねちゃんが出かけてるみたいで」
「せやねー。なんや、買い物に行くーゆーてたな」
「あぁ、そうだったのね? で、悪いんだけれど……とかちゃん、ウメさんにお茶を淹れてくれないかしら」
「お茶? うちが?」
「そう、とかちゃんが」
「あ~……いや、まぁ。別にええんやけど―――」
「ほんと? ありがとうっ。じゃ、お姉ちゃんはウメさんと居間にいるから。頼んだわねっ」
「あっ」
それだけ伝えると、みつなはパタパタと忙しない様子で出て行ってしまう。
「ええんやけど。……うち、お茶なんて淹れたことないで?」
もう見えなくなったみつなの背中に向けて、ぽつりと不穏な呟きをするとうかだった。
***
「えと……急須はこれ使えばえーよな。んで、お茶っ葉は……」
どうやら今日のウメさんは真面目なお話で来たらしく、非常に居間へ入りづらい状況になっていた。
みつなに続きの言葉を伝えて淹れ方を教えてもらおうとしたのだが、雰囲気がそれを躊躇わせてしまった。
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。うち、やればできる子やもん。お茶くらい、ぱぱーっと片付けたるで」
まるで自分を催眠に掛けるように、わざわざ独り言を口にするとうか。
「ん~と……おぉ、あったあった。これや」
戸棚の一番手前、筒状の缶に入ったお茶っ葉を見つける。
蓋を開けて確認すると、たしかに探していたソレだった。
「よし、これで準備万端や。んで、最初はなんやったっけ? ん~~~……」
目をつぶり、考察に入るとうか。
脳裏には、何度か目にした事のある、かさねの淹れる姿が過ぎっていた。
「……おぉ、せやせや。まずはお湯を湯のみに入れて、と」
お茶の前に、湯のみに湯を注ぎ、冷えた器を温め始める。
恐らくこの場所にかさねがいれば、そんな技術を披露するとうかに、素直に驚いてくれたことだろう。
「よっしゃ、次や次」
だが、それは間違いと言う物だ。
そう……とうかは今、料理初心者がうろ覚えで作る時にありがちな『やたらと細かい事だけ知っている』と言う罠に陥っていた。
その証拠に、急須は冷たいまま放置されている。
そしてもちろん、罠はそんな些細なことだけには留まらない。
「んで、お茶っ葉の投入やな」
先ほど見つけた缶を手に持ち、急須へ向かってそれを傾ける。
そして、自信満々に―――
「とりゃー」
およそ“10杯分”程度は淹れられそうな量の葉を入れ、お湯を注ぐ。
そう、『やたらと細かい事だけ知っている』と言うのは、裏を返せば『肝心なことは全く知らない』と言う意味にもなるのだ。
「ふぅ……で、このままちょっと待ってから注げば完成やったよな? なんや、めっちゃ簡単やん。ビビって損したわぁ」
そして、たっぷり1分待ってから、しっかりと温まった湯のみに急須を傾ける。
「お、出た出た。やー、こりゃえーなぁ。バッチリ緑色やんか」
初めて自分でやった、と言うのが目を曇らせているのだろう。
トプトプと注がれていく、その目に優しい色の液体を、とうかは楽しそうに見つめていた。
「よっしゃ、でーきたっ。……って、あれ? お茶って、こないに健康に良さそうな色やったっけ?」
淹れ終わり、少しだけ冷静に戻れたのだろう。
青汁ならぬ緑汁を前に、とうかは首をかしげる。
「……いちお、味見してみよか」
そして、少しだけ口を付けたとうかは。
「んごっ!?」
決して熱さなどではなく。
その強烈過ぎる渋みに、大きく顔を歪めるのだった。
「あ、あかん……あかんでコレ。苦すぎて、味がよーわからんわ……完全に大人の味やでっ!」
苦味=大人という方程式が成り立っているとうかにとって、『大人の味』と言う表現は最大級の苦さをあらわしている。
「ハッ? 飲むのんは大人なんやし、これで大丈夫やったり!? …………は、せーへんよな」
とうかと言えども、さすがにそこは理性が働いたようだ。
「なんでこないなことになったんやろ……もしかしてこの葉っぱ、ひごーほーななんかなんやない?」
しかし、自分の間違いにはなかなか気づけずにいる。この辺りも、初心者の陥りやすい罠の1つなのだろう。
「あ……この葉っぱ、アレや。めっちゃいっぱい出るヤツかもしれへん。3倍濃縮……? みたいなん、聞き覚えあるもんな。と言うことは……あっ! 葉っぱを減らせば、普通になる!?」
間違いを葉に求めているあたり、手放しで褒められるわけではないものの、どうにか正解へと至るとうか。
「そないな理由なら、うちが失敗するんもしゃーないやんな。おっしゃ、淹れなおそっと」
そして、お茶の量を半分ほどに減らしたところで、ふと気づく。
そう。気づかなくても良かった、例の初心者の罠に。
「……あっ、あかんわ。同じお茶っ葉で2回淹れるんは、無礼やーって聞いたことあるで」
そう呟きながら、残りの半分も全て捨ててしまう。
「よっしゃ。改めて、お茶っ葉お茶っ葉…………って、なんやこれ!?」
葉の入っていた缶を再び取り出したとうかは、その中身を見て驚愕する。
「なんも入ってへんやん!?」
……そう。先ほどの10倍濃縮にしたお茶で、中身を全て使ってしまったのだ。
そしてそれこそが、この場にかさねがいない理由でもあった。