2016/02/29

幸せの青い紙・かさね篇 弐

「いやー、おもろかったなぁ……かさちーの網芸、ほんますごかったで」
「なんですか、網芸って! 全然おもしろくありませんよぉっ」

逃げ回っていたかさねが、みつなの用意した大型の魚を捕るための網ですくい上げられた……と言うのが15分前のこと。
突然のことに驚いたかさねは、逃げることも忘れて、しばし網の中で呆然としていたが、ようやく落ち着きを取り戻してノソノソと出てきた。

「もう……とうかちゃんだけならまだしも、みつなさんまであんなこと……」
「うふふ、一本釣りだったわね~」
「そもそも、網で捕まえたろーって言い出したんは、みつねぇやで?」
「……へぇ? そうなんですか?」
「あ、あらあら。そう言えばお掃除が途中だったわ~。あと、よろしくね? とかちゃん」

青いソレをとうかに渡したみつなは、そそくさと居間を後にする。

「……逃げよった」
「もう、みつなさんは……変な所で子供っぽいんですから」

『それはかさちーもやで?』と言いたくなった物の、また一本釣りするのもしんどいし……と判断したとうかは、何も突っ込まないでおいた。

「さっき、なにを渡されたんですか?」
「ん? ああ、これは―――」

みつなに託されたものを取りだそうとした瞬間、ふと別の考えが頭を過ぎる。

「ま、それは後でえーやん。遊びに行こかー」
「え? ちょ、ちょっと、とうかちゃんっ?」

かさねの手を取り、そのまま宿を後にする。

***

「やー。ええ天気やねぇ」
「あの。わたし、繕い物があるので、部屋に戻りたいんですが……」
「えーやんえーやん。少し遊んだくらいで、繕いもんは逃げへんよー」
「いや、逃げるとか逃げないとかじゃなくてですね……」

その後に続けようとした言葉は、しかしとうかの楽しそうな顔に打ち消されてしまう。

「はぁ……で? どこ行くんですか?」
「んー、どないしよか。山のぼる?」
「登りませんっ! とうかちゃんが急かすから、つっかけで出てきたんですよ、わたし?」
「おぉ、ほんまやね。そんなんやと、めっちゃ大変やで?」
「わかってます! だからイヤって言ってるじゃないですかぁ」
「ふふふ、そこは安心するがええよ。なんせ……」
「な、なんせ?」

何か策があるのだろうか。
妙に雰囲気を漂わせるとうかを前に、ゴクリ、と生唾を飲み込むかさね。

「……うちもや!」

ドドーン、と言う効果音でも鳴りそうな大見得を切りつつ、とうかはつっかけを履いた足を見せる。

「知ってます……」
「あ、ほんま?」
「お互いのためにも、やめましょうよ……」
「せやなー」

あっさりと意見を引っ込めるとうか。
別に、なにがなんでも行きたかったわけではないらしい。

「ほなら、アソコいこーや、アソコ。んと……なんやっけ。無料販売所?」
「無人販売所です! 無料販売してたら、お金が回りません!」
「おー、ええツッコミやね。さすがうちが育てただけはあるでー」
「とうかちゃんに育てられた覚えはありません……」

とうかのことだ。どうせ、ボケたわけではなく本気で間違えたのだろう……と考えつつ、かさねは何度目かになるため息を吐く。

「あそこ、座れるトコあったやん。ちょっと、おしゃべりしてこ?」
「ええ、それなら」

変な所でとうかが強引になるのは、いつものことだ。
無人販売所は、宿から歩いて15分くらいの微妙に遠い場所にあるのだが、『山を登るよりは楽』と言う理由により、かさねはふたつ返事で了解する。
2016/02/17

かさね、頒布開始のお知らせ

こんにちわ、ネモン℃の芳松です。
本日より、ネモン℃第一弾作品『たまゆらの宿 かさね』が頒布開始となりました。

DLsiteさんの頒布ページはこちら

DMMさんの頒布ページはこちら

となっております。
よろしければ、チェックしてみてくださいませ。


頒布物のreadme.txtにも書かせて頂きましたが、何かご意見・ご感想等ございましたら、当ブログの左下にあるメールフォームから頂けますと幸いです。
特に封入物についてですが、こう言ったバージョンの物が欲しい、これはあっても良い、これはいらない……等のお話が頂けると、今後の参考になります。
耳かき音声作品を製作するのは初めてと言うのもございますが、今作を軸にして暗中模索しつつ、ネモン℃らしいやり方を作り上げていければ、と考えております。

それでは、今後ともネモン℃をよろしくお願いいたします。
第二弾作品の発表までは、しばらくまた宿の住人の日常をお届けしようと思いますので、お付き合い頂けますと幸いです。
2016/02/17

幸せの青い紙・かさね篇

「かさねちゃん、かさねちゃんっ」

パタパタ、と言う廊下を小走りする音と共に、みつながかさねの部屋を訪れる。

「んあー? どないしたん、みつねぇ」
「あら、とかちゃん? かさねちゃんはどうしたの?」
「トイレやで。今頃、昨日の晩ご飯を相手にがんばってるんやないかなぁ?」
「けど、かさねちゃんってお通じ良さそうに見えるから、案外スルッて出すんじゃないかしら」
「あー、ありそうやねー」
「ありませんっ! と言うか、なんの話をしているんですか2人ともっ!!」

他人の下品な話に花を咲かせる2人の会話に、部屋の主が割って入る。

「おー、かさちー。手ー洗ってきたかー?」
「なんとか菌がなんとかだから、ちゃんと清潔にしないとダメよ?」
「なんとかが多すぎて、意味が分かりません! と言うかそもそも、してきたのはおしっこですっ!!」
「……やって? みつねぇ」
「あらあら」
「………………あれ?」

チク、タク、チク、タク、とたっぷり5秒は経過しただろうか。
かさねは、自分が言ったことを思い返したのか、みるみるうちに頬を赤く染めて―――

「んみゃあああぁぁぁっっっ!!?」
「おぉ、かさちーが壊れてもーた」
「まぁまぁ、熟れたりんごみたい」
「ち、ちが、ちがぁっ! 今のは、その、おしっ……じゃないですちがいますそーじゃありませぇんっ!」
「別にえーやんか、おしっこしてきたーってゆーくらい。なぁみつねぇ?」
「ふふっ、良いのよ。こうやって恥ずかしがっちゃうのが、かさねちゃんの魅力なんだから」
「うええぇぇ、やだあぁ~~っ!」
「あっ、かさちー?」

いたたまれなくなったのか、踵を返してどこかへと行ってしまう。

「あらまぁ、ふふっ。ほんと可愛いわねぇ、かさねちゃんは」
「まーなぁ。うちもたまらんと思うわ」
「だからこそ、出番が回ってきたのかもしれないわねぇ」
「出番……って、え? かさちーが? もしかして、みつねぇがここに来はったんは……」
「えぇ、そうよ。それを教えようと思ってね。ほら」

みつなの手にあるのは、呼び出しの青い紙。
そこには、彼女達“紡ぎ手”の力が花開く、大切な機会が書かれている。

「おー。ついにかぁ……なんや、先越されてもーたなぁ」
「こう言うのは出会いだから。とかちゃんが急ぐ必要は無いわよ」
「あはは……」

優しい微笑みを向けるみつなに、とうかは苦笑いを浮かべる。

「ま、でもそーゆーことなら、祝ってやらなアカンなっ」
「あらあら、お祝いは終わってからよ?」
「あれ、せやったっけ?」
「ふふっ、そーよ。ほら、だからまずは、一緒にかさねちゃんを探しましょ?」
「かさちー、こう言う時は変な隙間に隠れよるからなぁ……見つけてもすぐ逃げてまうし。捕まえんの、しんどそうやで」
「ん~……じゃあ、一応のために川釣りで使う網を用意しましょうか?」
「おぉ。おもろそうやな、それっ」
「よーし。そうと決まったら、まずはお庭の物置ねっ」

そして30分後。
みつなととうかの悪ノリで捕獲されたかさねは、大きな網の中で、活きの悪い川魚のように、ただ大人しく身を横たえるのだった。
2016/02/16

第一弾作品『かさね』のご紹介

皆様、こんにちわ。ネモン℃の芳松です。
ようやく新作にして処女作が完成し、頒布出来るメドが立ちましたので、本日は告知をさせて頂こうと思います。

タイトルは、『たまゆらの宿 かさね』です。
既にいくつかのお話は投稿いたしましたが、たまゆらの宿……と言うシリーズの第一弾音声作品になります。
ストーリーと言うストーリーはございませんので、投稿したお話をお読み頂かなくてもご理解頂けるような作りになっております。


頒布をお願いしているサイト様は、DLsiteさんとDMMさんです。
既に作品審査をお願いしておりますので、なにも問題が無ければ数日後には頒布開始となると思います。

-----------------------------------------
※02/17追記
頒布開始されました。
DLsiteさんの頒布ページはこちら
DMMさんの頒布ページはこちら
となっております。
よろしければ、チェックしてみてくださいませ。
-----------------------------------------

kasane01

こちらが、扉イラストになります。
耳かきを持った袴の女の子が、かさねです。
現実世界では半年以上先になってしまいますが、イメージとしては初秋の夜、涼しくなってきた頃のお話……と言う想定で作っております。
頒布開始前後には、こちらに繋がるストーリーも投稿しようと思いますので、よろしかったらご覧下さいませ。

試聴は、Youtubeにアップしました。



また、DLsiteさんとDMMさんで頒布が開始されれば、そちらのページでも体験版でしたり、埋め込み形式でしたりで試聴できるようになる予定です。
アップされ次第、追ってご報告いたしますので、お待ちください。


それと、今作に携わって頂いたスタッフ様のご紹介を。

まず今回の美麗なイラスト、そして素晴らしいロゴを含めた装丁を手がけてくださったのは、吉宗さんです。
最近では、絵だけでなく自キャラであるペンギン星人のグッズも作られていたりするので、興味を持たれた方は是非TwitterPixiv等もご確認ください。

そして、かさねに声を当ててくださったのは、橘まおさん
PC用ゲームにて非常に精力的な活動をされているので、ご存じの方も多いのではないでしょうか?
かさねを、こちらの思い描いていた以上に可愛らしく、優しげで、そして少しだけ子供っぽい、そんな魅力溢れる子に仕上げて頂きました。
ご本人も仰っていましたが、こう言ったおとなしめの子を演じる機会は少ないとのことなので、耳かき音声に触れてこなかったと言う橘さんファンの方も、良かったら試聴データをお聴き頂けると幸いです。



たまゆらの宿は、既に第二弾、第三弾まで収録を終えました。
あとは作り込むだけという状況ですので、早い内に発表できればと思います。
ご期待くださいませ。

それでは皆様、今後ともたまゆらの宿、並びにネモン℃をよろしくお願いいたします。
2016/02/15

一日の始まり・弐

トン、トン、トン、トン……と、廊下を歩く音、そしてそれが止むと同時にふすまが開き、微動だにしない布団の丸まりへ向けてかさねが声を掛ける。

「とうかちゃん。とーかちゃんっ?」
「…………」
「まだ寝てるんですか? ほら、起きてっ」

手慣れた動作で、丸まりを覆う掛け布団をひっぺがす。すぐに取り返そうと手を伸ばしてくる丸まりこと、とうかの動きを予測していたかさねは、無慈悲にもささっと折りたたんで手の届かないところへ置いてしまった。

「あぅ~……むにゃ……」
「むにゃ、じゃないです。起きてください、何時だと思ってるんですか?」
「ん~……暗いから、夜ぅ……?」
「それは、とーかちゃんが目をつぶってるからですっ! ほら、あけてあけてっ」
「いややぁ、まぶしい~」
「そんなだらしないことじゃ、牛になっちゃいますよ?」
「あ~、えーなぁそれ。うち、牛さんになるわぁ。がお~」
「それ、牛じゃないですっ!」

器用にも目をつぶりながら、猛獣? らしき構えを取るとうか。

「牛さんやし、食後はぐっすりやんな?」
「朝ご飯もまだ食べてませんよ」
「うち、実は仙人さんやねん。せやから、空気でお腹いっぱいになるんよ」
「寝続ける理由をムリにつけようとしないでください。あと、それを言うならとうかちゃんのご飯が今後は霞になりますけど、構わないんですか?」
「いややぁ、共食いしたいぃ~」
「寝ぼけながら、猟奇的なことを言わないでくださいっ! 単に、牛肉が好きってだけでしょう?」
「ちゃうよ、豚さんと鶏さんも好きやで~」
「知ってます。今朝は、そんな大好きな鶏が産んでくれた卵が食卓に並んでますけど。意味不明な理由で寝続けようとするなら、わたしが食べちゃいますよ?」
「え、たまご? 目玉焼き?」

パッと目が開いたと同時に猛獣の構えを解き、とうかは布団から頭を上げる。

「……あっという間に起きましたね、とうかさん」
「あはは~、さっきまで眠かったんやけど、かさちーと喋ってたら目ぇ覚めてもーた」
「はぁ、そうですか……で、どうするんです? 食べるんですか?」
「モチやっ。今朝、変な時間に起きてもうてな? お腹ぐーぐー鳴っててんけど、無理して二度寝したんよ」
「そのまま起きてくれば良かったじゃないですかっ」
「そうはゆーても、朝6時やで? まだ眠りたいやんかー」
「6時って……確かに早いですけど、二度寝はする必要ないと思います」
「うちの睡眠欲は、食欲ごときに負けられへんからなー」
「はぁ……なんの対抗意識ですか、それは。わかりましたから、食堂へ行ってください。とうかちゃんがそこをどいてくれないと、布団が干せません」

二度目のため息を吐いたかさねは、とうかを促す。

「おー、そか。ごめんなー? んじゃ、また後で~」
「はいはい、また後で。食事中に寝ないでくださいよ?」
「それは約束できひん」
「自信満々に言わないでくださいっ!」

かさねのいつも通りの反応に満足したのか、とうかはフニャッと笑いながら部屋を出て行く。

「はー、もう……とうかちゃんてば、いつもああなんですから」

心中の言葉をつい口にしながらも、とうかはいそいそと敷き布団を抱え上げる。

「ふーんふんふふーん♪」

そして、楽しそうに物干し台へと向かったのだった。
2016/02/09

一日の始まり・壱

「う……ん……」

障子の隙間から射し込む光にまぶたを刺されながら、1人の少女が布団から起き上がる。

「ふあぁ…………もう、朝ですか……?」

綺麗に片付けられた8畳間の和室で、ポソリと呟く少女。独り言なのだろう、それに答える声はない。

「ん、ん~~~っ!」

ぐぐーっと伸びをした後に、すっくと起き上がる。
そして、寝起きにも関わらずテキパキと布団を片付け、身支度を始めた。

***

トントンと、野菜を切る小気味良い音を奏でながら、楽しげに料理をする女性の姿があった。

「ふーんふふんふふ~んふ~♪ ……と、あら?」

板張りの廊下を歩く音に気づいたのだろう。女性は一旦手を止めて、彼女が顔を出してくるのを待つ。

「おはようございます、みつなさんっ」
「はい、おはよう……ふふっ」
「? どうしたんですか、笑って?」
「ふふふっ……だってかさねちゃん、その髪……」
「かみ? ……あっ」

服こそはしっかり着ている物の、起きたばかりなせいだろう。
かさね、と呼ばれた少女の髪は、一房だけぴょこんと跳ねて、その存在を誇示していた。

「あうぅ……ね、寝癖なおすの忘れてましたぁ……」
「くすくす……そのままでも可愛いわよ?」
「笑いながら言われても、説得力ないですぅっ!」
「あ、あらあら、お姉ちゃん笑ってないわよ? ね、ほら?」
「ニコニコしてるじゃないですかぁっ」

かさねは少し涙目になりながら不満を訴えるが、みつなも慣れているのだろう。可愛い妹分のドジに、笑顔を崩すことはなかった。

「ううぅ……」
「ほら、かさねちゃん。直して上げるから、洗面所に行きましょう?」
「でもそれじゃ、朝ごはんの支度が……」
「大丈夫よ。もう後は、お味噌汁だけだから」
「えぇ? みつなさん、早すぎですよぉ。昨日、わたしも手伝うって言ったのに」
「ふふ、ごめんなさいね。じゃあ、最後の味付けはかさねちゃんにやってもらおうかしら」
「はい、がんばりますっ」
「けど。まずは、寝癖を直してからね?」
「う……は、はい。お願いします……」

みつなは火を止め、かさねを連れて洗面所へと向かった。

***

「お布団、干してきた?」
「はいっ。今日は良いお天気だから、すっごいフカフカになりそうです」
「そうね。夜が楽しみになるわ」

かさねの髪をゆっくりと梳きながら、2人は言葉を交わす。

「とかちゃんは?」
「一応見てきましたけど、全然ダメです。グッスリで、まったく起きようとしませんでした」
「いつも通りねぇ」
「ほんとです……」

この場にいない子のしょうもない話をしていると言うのに、かさねの表情にはやれやれと言った色が。対照的に、みつなの顔には微笑みが浮かんでいた。

「朝ごはんの支度が終わったら、もういっかい見てきます」
「ごはん食べてからで良いわよ。じゃないとかさねちゃんも落ち着かないし、そもそも―――」
「とうかちゃん、起きないですよね……」
「ん、そうそう。ふふっ」

みつなのシュ、シュと髪を梳く手が止まる。

「うん、はい。これで良いわ」
「よかったぁ。ありがとうございます、みつなさん」
「それにしても……今日も可愛いわよ、かさねちゃんっ」
「むぐっ……ちょ、み、みつなさんっ。頭を抱かれると、また髪がっ……」
「ぎゅうー」
「むぐぅーっ」

そんなかさねの言葉には聞こえないふりを貫き、ぎゅっと抱きしめる。

「んむむ……ぷぁっ!」
「うーん、よしっ。これで午前のかさねちゃん分は補給できたわっ」
「なんですかそれは……。わたしは、数週間分のおっぱい分を補給できたと思います……毎日補給しているせいで、供給過多です」
「えぇー、気持ち良くなかったかしら? お姉ちゃんのおっぱい枕」
「もう慣れちゃいましたし、息苦しさの方が強かったですから……」
「ひどいっ! お姉ちゃんのことは遊びだったのねっ!?」
「むしろわたしで遊んでいるのは、みつなさんのような気がするのですが」
「あ、そうだわ。朝ごはんの仕上げしないとー」
「……ムリヤリ話を曲げましたね」
「ほら、行くわよかさねちゃーんっ」
「はいはい、いま行きます」

仕方ないなぁ、と息を吐きながら、かさねがみつなの後を追う。
こうして、ここ……たまゆらの宿の1日が、今日も始まった。
2016/02/04

序章

ここがどこなのか、ですか……?
ええ、ええ。
知りたいのですよね。
ええ、ええ、もちろんですとも。
ご説明申し上げましょう。
少々長くなりますが、よろしいですか?
……かしこまりました。

では。
しばしのお時間を奪うこと、どうかお許しくださいませ。

まず最初に、結論から申し上げます。
ここは、あなたのおられる世界ではありません。
いわゆる、異次元世界です。

こんな経験はございませんか?
忙しい日々にようやく手にした休日。
しかし充分に睡眠を取っても、疲れがまるで取れないばかりか、逆に身体が重くなった……と言うことが。

あなたの世界には、至る所に次元の隙間が口を開けております。
普段目にすることはないのですが、眠っている時に身体から漏れ出た意識の一部だけが、そこへと迷い込むことができてしまいます。
そうして入り込んだ意識は、放っておくとそのままこの世界で迷子となり、本体へ……現実世界へ戻ることは、かなわなくなってしまうでしょう。
その結果、取り残された本体はと言うと、ちぎれた意識を喪失した事により身体が弱っていってしまいます。
それが、先ほど申し上げました『睡眠で疲れが余計に増した』状態なのです。

しかし、いつ頃からそうなったのか……それは、誰にもわかりませんが。
戻ることの叶わなくなった意識がいくつも集まり、この空間に『女性』と言う概念を生み出しました。
やがて『女性』は同時多発的にたくさん生まれ落ち、『彼女達』となります。
それぞれがそれぞれ、いくつもの思念体が集まって個を作り、人格を成したのです。

疲弊していた思いが集まり、自我に芽生えたせいでしょう。
彼女達の存在理由(レーゾンデートル)はただひとつ。
『癒やすこと』でした。

彼女達は、その思念の力を持って、ただ広がっていただけの世界に『空間』を作り出します。
空間はやがて大地を、そしてその上に様々な動植物を……さらには彼女達の存在を誇示する『建物』を、形作りました。
しかも建物は、次元の隙間をその内部に擁したのです。
そう……つまり、異次元へ迷い込んだ意識が最初に目を覚ますのは、この『建物』の中なのです。

隙間は、いくつもございます。
目を覚ます場所がどこなのか……それは、誰にもわかりません。

ところで、この次元の隙間へは、誰もが来られるわけではございません。
精神的・肉体的に疲弊した状態にある方が、世界からの脱却を願った場合に意識の流出が起こり、結果的にこちらへ来てしまうのです。
だからこそ、彼女達はまず最初に問いかけますよね? 「疲れているのでは?」……と。
それは決して、顔色や様子から判断したのではございません。
この場所にいること、それそのものが既に『疲れ』を極度に抱えている状態だからなのです。

部屋を訪れる方々には、例外なく『癒やされたい』と言う願望があります。
その思いは、無数に存在する『彼女達』と言う概念の中から、無意識に己の一番求めた存在を呼び寄せるでしょう。
そうして訪れた子が、あなたの目覚める場所に座っているのです。

彼女達がなすのは、世界へ迷い込んでしまった方に対する、魂の癒やしです。
それは時に迂遠で、直接的で、『お客様』であるはずのあなたをすべからく戸惑わせます。
しかしそれはみな、わずかな時間、迷い子であるあなたを癒やすための奉仕に他なりません。
だからこそ、この施設にはいつの頃からか、そのような俗称が付いたのでしょう。
―――『たまゆら(魂癒)の宿』、と。

さて、小難しい説明はここまでです。
この世界へ迷い込んでしまったあなたが求めるのは、どんな存在ですか?
……いいえ、答える必要はございません。

さぁ、身を横たえてください。
目を閉じてください。
……眠りについてください。
次に目を覚ました時……あなたの隣には、彼女の姿があることでしょう。

おやすみなさい、よい夢を。
おかえりなさい、またいつか―――