「へあ~…………」
「とかちゃん、よだれ」
「…………ンジュルッ」
縁側で、ぼんやり遠くを見つめながら唾液を垂らすとうかを、たまたま通りがかったみつなが注意する。
「なかなか豪快に吸い込んだわねぇ……」
「あははー、あかんあかん。ボーッとして、着物に垂らすとこやったわー」
「よだれくらいなら良いけど……どうしたの、黄昏れちゃって?」
「んぇ? タゴノメ茶? なんや、苦みの中にスッキリとした後味がしそうな名前やね」
「タソガレよ、タソガレ……」
たまに勉強を見てやったりはしているものの、勝手に色々覚えてくるかさねとは違い、とうかにはもう少し厳しく接する必要があるのかもしれない……と、みつなは思う。
「なにか考え事でもしてたの? それとも、向こうの景色になにかあった?」
「んふふ~……ほらみつねぇ、アソコ見て、アソコ」
「アソコ?」
とうかは、遠くの山より若干上の、空辺りを指差している。
「な? なっ?」
「雲……がどうかした?」
「ホラあれ、よく見てやー。なにかに似てへん?」
「なにか? ……って、何かしら?」
「もー。鈍いで、みつねぇ。なにかって言ったら、キノコ鍋しかないやんかー」
「キノコ…………鍋?」
言われてみれば、とうかの指差した辺りには、どことなく鍋のような形をしている雲がある。
が、それは鍋そのものであって、別に中身がキノコと決まっているわけではない。
それこそ、猪鍋でもきりたんぽ鍋でも、寄せ鍋でもすき焼きでも構わないはずで。
……つまり、言った者勝ちにしか思えない程度には、ただの“鍋”なのだ。
「ええと……どうしてキノコ鍋に見えるのかしら?」
「ほら、あのこんもりと盛り上がっている具! 溢れ出しそうな汁! もう間違いなく、キノコしかあらへんよ!」
「そう……なの?」
「もちろんや!」
キラキラと瞳を輝かせながら、楽しそうにとうかは断言する。
とうかがそう言うのであれば、アレはキノコ鍋なのだろう。
半ば勢いに押されてではあるが、みつなはムリヤリそう納得することにした。
「あぁ、もしかしてそんな想像してたから、ついよだれが垂れちゃったのかしら?」
「せやねん……うまそうやったなぁ、あのキノコ鍋……」
まるで恋する乙女のように、憂いを含んだ視線をキノコ鍋らしき雲へ送る。
なるほど、これが黄昏れていた理由なのか……と、みつなは合点がいく。
「なー、みつねぇ……」
たとえしょうもない理由だったとしても、とうかの中に眠る女性の本能がそうさせているのだろうか。
切なそうに瞳を潤ませ、上目遣いでみつなを見つめる。
「…………食べたいの?」
“ハ”の字に下がった眉そのままに、コクリとうなずく。
こんな表情、男性を相手にしたらそれこそイチコロだろうに……と思いながら、みつなは小さくため息を吐く。
「はー、まったく……とかちゃんてば」
「あかん……?」
「ダメとは言ってないでしょ」
「え……? じゃ、じゃあっ」
「そーね、季節のものだし。たまには、キノコ鍋も良いかもしれないわね」
「わーいっ!」
途端に破顔して、両手を天に掲げるとうか。
全身で喜びを表現するその様子に、思わずみつなも苦笑してしまう。
「ただーし、ひとつ条件があります」
「んぉっ?」
ビッ、と人差し指をたて、とうかに突きつける。
「条件……って?」
「お出汁の材料は揃ってるし、お野菜も色々あるのだけど、うちには肝心のキノコが全然ないの。悪いけど、山から取ってきてくれないかしら?」
「おー、そないなことならラクショーやで! ちょちょーっと山からネコババしてくればえーやんな?」
「ネコババ……って、この辺りの山は所有者もいないし、自生してるのを頂くだけだから、盗みにはならないわよ?」
「なるほど、脱法ってヤツや!」
「……合法ね、合法」
言い方ひとつでかなり意味が違ってくるので、そこはしっかりと訂正する。
「ともかく、りょーかいやで。うちに任せてやー」
「食べられないヤツとかわかる?」
「見た目と匂いで9割わかるで!」
「……さすがとかちゃんね」
よくよく思い返してみると、これまでも何度かキノコを採りに行ったことがあったが、確かにとうかの持ってくるモノはほとんど全部が食べられる物だった。
恐らく、この野生的勘は信用しても良いだろう。
残りの危険なキノコも、みつなの知識を使えば避けられるので、何も問題はない。
「それじゃ、お姉ちゃんの方でお鍋の準備を進めておくから。とかちゃんは、材料調達お願いね」
それだけ告げると、みつなはお勝手の方へと向かう。
「よーし、久々に腕が鳴るでぇ……」
スクッと立ち上がったとうかは、意気揚々と廊下の先へと歩いて行った。
そう……玄関とは反対の方向へと。